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<チーム青森とは?>

ソルトレークオリンピック出場の後、所属チーム「シムソンズ」の解散を経て青森市文化スポーツ振興公社の嘱託職員としてカーリングの指導にあたっていた小野寺歩・林弓枝と、ジュニア時代には北海道南富良野町のチーム「空知こざくら」で活躍し、高校卒業後青森県の大学に進学した目黒萌絵・寺田桜子の4人により、2003年、カーリングチーム「フォルティウス」として結成された。
世界選手権出場の条件(1チーム5名登録)を満たすため、小野寺・林の故郷北海道常呂町でジュニア選手として活躍していた本橋麻里をチームに招き入れ、2005年に所属県協会名をチーム名に入れるという規定もあり「チーム青森」が誕生した。
現在は、小野寺歩と林弓枝がチームからはずれ、新メンバー・山浦麻葉を迎え入れて「チーム青森・新」となった。
新チームの紹介は、「チーム青森・新」でどうぞ。

チーム青森を「BS-i 超・人」で紹介

<チーム青森・メンバー>

小野寺 歩
スキップ(主将)を努め、試合の戦術を組み立て指示を出す。試合を決める最後の投石は、相当おおきなプレッシャーがかかるのでしょう。
カーリング五輪代表主将 小野寺歩(27)(青森市)「YOMIURI ONLINE/地域/企画・連載」より
林 弓枝
サードを努め、小野寺を補佐する大事な役目。日本を代表する名スウィーパーで的確な情報をスキップに伝える。経験を生かした的確なショットでチームを救ったこともたくさんあります。
本橋 麻里
セカンドを努め、トリノオリンピックでは若さと愛嬌で日本国中に爽やかな風を吹き込んでくれました。彼女の愛嬌でチームもリラックスできたのではないでしょうか。
目黒 萌絵
リードを努め、ドローショット・ガードショットを投げる。試合の流れを左右する大事な役目。試合の第1投目は緊張するのではないでしょうか。
寺田 桜子
主にリザーブとして陰ながらチームを支えることことが多いが、実力的には決して引けを取らない。チーム全員から慕われ、お姉さん的存在で欠かせない存在。
「チーム青森」グラフ特集 東奥日報カーリング特集ページより
  
(チーム青森の写真特集です)

<チーム青森・戦績>

シーズン 大会 結果
2003〜2004 日本カーリング選手権 優勝
2004〜2005 パシフィックカーリング選手権 優勝
世界女子カーリング選手権 9位
日本カーリング選手権 2位
2005〜2006 トリノオリンピック代表選考会
勝利
トリノオリンピック
7位
日本カーリング選手権
優勝

<チーム青森の活躍>

 トリノオリンピックでの活躍で一躍有名になったチーム青森のメンバーだが、それまでの道のりは容易なものではなかった。
 彼女達の出身地である北海道北見市常呂町(2006年北見市と合併)は、カーリングの町として知られ、カーリングのオリンピック選手を多く生んでいる。そんなカーリングが盛んな町においても彼女達を選手として支えられる環境はなかった。
 そのため小野寺は、ソルトレークオリンピック出場後、所属チーム「シムソンズ」の解散を経て、カーリング専用施設を建設し、選手の育成強化をはかっていた青森市に臨時職員として誘いがかかり林を誘って青森県に移った。
 その後、元オリンピック選手と釣り合う実力の選手がなかなか揃わず、チーム青森の前世「フォルティウス」が結成されるまでの約1年間は、小野寺と林の2人だけでの練習が続いた。
 しかし、北海道からジュニア時代から実力のある目黒、寺田を青森へ誘い、2人の加入により「フォルティウス」を結成後は、たった1年で日本一の座を掴んだ。
 さらに、小野寺、林の故郷である常呂町で活躍していた本橋を招き入れ、トリノオリンピック代表の座も手に入れることなった。
 決して順風満帆ではない道のりを乗り越えて、その後の大活躍となる。
 トリノオリンピックでは4戦を終えて1勝3敗とほぼ絶望的な状態であったが、劇的な試合運びで強豪カナダを破って勢いをつけ、スウェーデンには負けはしたものの、延長戦までもつれこむ死闘を演じて見せた。前回のソルトレークオリンピックを制したイギリス、そしてイタリア戦に勝って4勝4敗とし、準決勝進出の可能性を残して迎えたスイス戦では、いったん5点差まで引き離されながら、第7エンドに2点差にまで追いつく粘り強さを発揮したが、第9エンド前にギブアップ負け。彼女たちのトリノオリンピックは終止符を打った。
 しかし、この5人の選手のひたむきな姿は、小林宏の丁寧な解説とともにカーリングのスポーツとしての面白さを日本の多くの視聴者に伝えることとなった。その余波を受け、同年3月に青森で行われた日本選手権では、かつてないほどの世間・マスコミの注目を集めて臨むことになった。  トリノ五輪の後練習期間を十分に取れなかった影響もあり、予選ラウンドではジュニア年代のチーム常呂中学校に敗れるなど2敗を喫する。しかしオリンピックと同様大会中に調子を上げ、予選ラウンドは1位で通過する。決勝トーナメントではまず準決勝で常呂中に雪辱し、決勝ではライバルのチーム長野に予選ラウンド・タイブレークに続く3度目の勝利を挙げて、2年ぶりの日本選手権優勝を果たし、2006年秋に開催されるパシフィック選手権の出場権を獲得した。(Wikipedia参照)

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